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特集
伝統工芸から蒔絵アートへ
日本の伝統工芸のひとつに『蒔絵』があります。
特別な調度品に施した高度な装飾技法を受け継ぎながらも、新しい魅力を加えた『現代の蒔絵』を紹介しましょう。
金粉と色粉で仕上げた鳳凰蒔絵菓子器。鳳凰は立体的な高蒔絵で表現。
特権階級の茶道具や
調度品を飾った蒔絵
蒔絵は漆工芸における装飾方法のひとつです。漆を含ませた筆で図柄を描き、その上に細かい金粉を「蒔く」ことで、漆を定着剤とした金粉による美しい文様が生まれます。起こりは奈良時代。平安時代に発展し、鎌倉時代には現在につながる技法が確立していました。専門技能を有する蒔絵師によって描かれましたが、江戸の町には3000人もの蒔絵師がいたとされています。優れた者は幕府に召し抱えられ、城内の建造物や調度品の制作に携わりました。金は富や権力の象徴でもあり、貴族社会や武家社会では、茶道具や調度品に豪華絢爛たる蒔絵を施したのです。
山水蒔絵硯箱/伝統的な山水図柄を高蒔絵で仕上げた作品。空間を演出する「ぼかし」は蒔絵が得意とする表現。
日本中の漆器産地に広がり、
ヨーロッパでも人気に
江戸蒔絵が隆盛を極めた頃には数多くの流派に分かれ、一子相伝で秘技を守ったり、門人を抱えて広く活躍しました。名工と呼ばれた蒔絵師の作品は、国宝や重要文化財として現存し、国立美術館で目にすることができます。また江戸蒔絵の技法は地方の漆器産地にももたらされ、加賀蒔絵、京蒔絵、駿河蒔絵など独自の呼称を得ました。16〜17世紀には海外でも人気が高まり、オランダを通じてヨーロッパ中に紹介されましたが、王侯貴族にしか手が出せない高級品だったようです。ちなみに現在、蒔絵は海外でも「Maki-e」と呼ばれています。
美術工芸へと昇華するも、
人々の生活道具にはなれず…
江戸期の隆盛をきっかけに、明治期以降、蒔絵には金の物質価値にとどまらない新たな価値が見出されるようになりました。海外からの需要に応えたり、蒔絵師が独自の美を探求することによって、蒔絵は金と漆が生み出す日本独自の美術工芸として浸透していったのです。しかし、時代は急速に移りゆき、家具や文具、食器は西洋化、カジュアル化が進みます。汁椀ひとつとってみても、かつては天然木から削り出して漆塗りされていたものが安価なプラスチック製や合成漆器に変わり、施す絵柄も蒔絵から印刷に代わっていきました。
東京で蒔絵の技法を継承する
松田祥幹さんを訪ねて
現在、国が指定する伝統的工芸品のうち漆器は23品目ありますが、豪華な調度品や伝統的な漆器の需要は激減。主力産地である輪島塗や山中漆器ですら厳しい状況が続いているといいます。そんななか東京・銀座で『蒔絵スタジオ祥幹』を営んでいる松田祥幹さんを訪ねました。「私は山中漆器(石川県)で本格的な茶道具蒔絵の修行を積みました。茶道具には蒔絵技法のすべてが詰まっています。しかし人々のライフスタイルが様変わりした現代、新しい蒔絵のニーズをつくっていかなければ、この素晴らしい文化を後世に残すことはできません」と松田さん。そんな思いから今、伝統的な蒔絵の技法を漆器ではないアイテムに応用した作品も発表しています。漆器に施す加飾であった蒔絵が、漆器とは別の道を歩みはじめているのです。
●記事中の作品は、すべて松田祥幹さんの作品です。
ワークショップにて/粉筒で金粉を蒔く松田さん。
かけ流し青海波茶碗
かけ流し青海波蒔絵ガラス茶碗
鶴蒔絵マティーニグラス
蒔絵という素晴らしい文化を、もっと多くの人に、そして後世まで伝えていくために。
レース高蒔絵パネル/独自に開発したレース様の高蒔絵で製作。海外で抜群の人気がある。
透明なガラス食器を
鮮やかな蒔絵が彩る新しさ
松田さんには、ガラス食器に蒔絵を施した作品があります。カップ、ワイングラス、水差し、深鉢、大皿…。描かれているのは、鶴や朝顔、金魚、鳳凰などの和柄です。色粉で描かれた鮮やかなものもありますが、やはりキラリと輝いているのは金! 漆器とはぜんぜん違うガラス蒔絵という新しい世界に目を奪われます。業界では、ガラスには蒔絵は描けないというのが常識でした。すぐに剥がれてしまうからです。松田さんも試行錯誤の末に、剥がれることのない現在の方法にたどり着いたのだとか。ガラス茶器を納めた依頼主からは「6年間毎日使っているけど、ぜんぜん大丈夫だよ」と言われているそうです。
波洗面蒔絵ガラス茶碗
大観衆の前で、蒔絵は再び表舞台へ!
もうひとつの特徴的な作品は楽器です。鼓や笛、琵琶といった和楽器に施された蒔絵は、日本の古典音楽の雅な世界を醸しだしています。一方でギターには、本当に驚きました。ギターに蒔絵、その突飛な発想はどこからきたのでしょうか?「大手楽器メーカーのカスタム部門からのご依頼です。あるミュージシャンのためにそれまでもギターをカスタマイズしていたのですが、今度は松田の蒔絵でいってみようと」。決してコレクションではありません。実際にこのギターを抱えてステージに立ち、全国ツアーが行われました。きっと蒔絵のことも紹介されたはず。何万人もの人が、蒔絵の魅力を知ることになったのです。
龍蒔絵担ぎ太鼓
桜蒔絵ギター
蒔絵への扉を開く蒔絵教室
『蒔絵スタジオ祥幹』では、蒔絵体験や蒔絵教室を開催しています。現在の生徒数は150名あまり。これまでに700名もの方が蒔絵教室に通って作品づくりをされています。生徒は50〜60代の女性が最も多いそうですが、なかには高校生や大学生の姿も。ほとんどの方が、蒔絵を習うのはこの教室が初めてです。蒔絵の美しさはわかるけど、誰でもできるのかな? 特別な才能が必要なのではないでしょうか? 松田さんはいいます。「器用でなくても、絵が得意でなくても大丈夫。心のなかの好きなものを表現すればいい」と。
教室でも黄金の輝きは別格!
蒔絵に使う金属粉は、もちろん金粉が最高峰なのですが、教室ではさすがに金粉ばかり使うわけにいきません。それでも生徒はその美しさを知っているので、どうしても金を使いたい。そこで絵の大部分を銀粉や色粉で描いておいて、ここぞ!という場所にだけ金粉を蒔くのだそうです。そして、仕上げの日。手指に仕上げ磨き用の微細な粉をつけて金粉の上を擦ると、見る見る金が輝きだします。「光ったときの嬉しそうな顔!みんな目を見開いて歓声をあげてますよ。やっぱり金ですね。たったひと差しで、この効果ですから(松田さん)」
金の価値と同様に、蒔絵の魅力も、子へ、孫へ。
生徒の作品は、展示会やウェブサイトで公開されています。従来の蒔絵の概念にとらわれず、洋画風あり、かわいいペットあり、ユニークな図柄や大胆な構図などいろいろです。一人ひとりの個性が作品となっているのがよくわかりました。自分の好きなものを表現できたら、こんなに楽しいことはありません。教室からはたくさんの蒔絵ファンが誕生し、次にはその生徒がほかの誰かに蒔絵の魅力を伝えていってくれるのでしょう。富や権力の象徴であった金が、身近に感じられる存在になったように。金の価値を子や孫へ継承していけるように。
金を使った蒔絵の素晴らしさも、時代を超えて、日本人の心のなかに残されていってほしいと思いました。
●記事中の作品は、すべて松田祥幹さんの作品です。
取材協力および画像提供
蒔絵スタジオ祥幹
http://www.makieshi.com
TEL & FAX 03-5411-1260