Special
初夏の甲州
砂金採り体験。
山梨県・身延町の標高1,500m超の山岳地帯に、戦国期、武田軍の財源となる金を産出した『湯之奥金山』がある。
なぜそこに金があったのか?どのように採掘されていたのか?
金山の歴史や鉱山作業の様子を解き明かしながら、はじめての砂金採りにもチャレンジしてみたい。
富士の麓を甲斐の国へ。
風薫る朝。JR『富士』駅から乗車した身延線の特急電車は、霊峰富士の雄大な姿を右の車窓に映しながら走り出しました。ほどなく山間へ入ると狭小なトンネルをいくつも抜け、やがて左に見えてきたのは日本三大急流のひとつ富士川です。山梨県から静岡県を流れ下り、太平洋へと注ぐ一級河川で、かつてはその水運を利用して甲斐国と駿河国を結ぶ重要な役割を果たしていました。電車は富士川の左岸を北上していきます。
採取した砂金/「砂金採り体験」で採取した砂金は、小さなボトルに入れて持ち帰ることができる。量は少なくても感動は大きい。
武田軍を支えた湯之奥金山。
1時間あまりで目的地の『下部温泉』駅に到着。1200年の歴史を持つ温泉郷で、武田信玄が湯治して傷を癒やしたと伝えられています。湯之奥金山の呼び名は、この温泉郷の奥に位置する湯之奥集落からつけられましたが、金山があったのは集落からさらに奥にそびえる標高1,964mの毛無山の中腹です。湯之奥金山は中山、内山、茅小屋という3つの金山の総称で、国指定史跡となった中山金山は標高1,400m〜1,660mの区域に展開されていました。
見上げても、麓からは採鉱の跡を見ることはできません。山に登ったとしても、草木に覆われているため、よほど詳しい人でないと見つけられないと聞きました。唯一見る方法は、富士川を挟んだ対岸へ離れることです。富士川の右岸を走る国道52号線からは、日蓮宗総本山の身延山久遠寺がある標高1,153mの身延山へ登る山道が続いており、その山頂付近からは湯之奥金山の全景を展望することができるのです。麓の温泉郷には、湯之奥に屹立する山々を水源とする下部川が流れていました。
身延山・久遠寺境内の参道/佐渡金山を発見したと伝えられている仁蔵(ニゾウ)という青年が、信心深い母親を背負って久遠寺へ向かったと言われている。
久遠寺・黄金の釈迦像/身延山の山頂にある久遠寺は日蓮宗の総本山。https://www.kuonji.jp奥之院思親閣(ししんかく)境内の黄金の釈迦像。
いわば山金採掘のパイオニア!
日本で金が発見されたのは8世紀。宮城県の川の底に小さなひと粒の金が見つかったのがはじまりです。これが『砂金』。それから数百年間は、川床の砂金と河岸段丘に堆積した砂金である『芝金(しばきん)』を採取して産金が行われました。しかし砂金があるということは、上流にその元があるはず。やがて人々は川を遡り、山へ分け入り、高く登り、いよいよ金鉱脈『山金(やまきん)』に辿り着いたのです。
はじめは、表土に露出していたり、表層近くの風化した鉱石の『露頭掘り※』から。のちにはその延長にある地中の鉱脈を追う『ひ押し掘り』へと進みます。人ひとりが通れる程度の坑道を掘って金を求めました。16世紀頃からは、このような山金からの産金が主流となっていくのですが、その先駆けがここ湯之奥金山だということです。
古くから伝承されてきた「武田の隠し金山」とは、あくまで物語。湯之奥金山は近年まで、その規模も形態も不明でした。1989年になってはじめて湯之奥金山遺跡学術調査団が結成され、3年の月日をかけて発掘調査を実施。戦国期に遡る金山経営の姿が明らかになり、その成果は温泉郷の入口に開設された、湯之奥金山博物館で公開されています。
※露頭掘り/地表に出ている鉱脈を掘り取る採掘方法。戦国時代から江戸時代の初めにかけて盛んに使われた。
本栖湖・中ノ倉峠からの富士山/本栖湖は博物館のある身延町から最も近くに位置する富士五湖の一つ。千円札に印刷された富士山の姿はここからのもの。
金鉱床の成り立ち
海底火山だった現在の伊豆半島が地殻変動により日本列島と地続きになり、さらにその一帯を隆起させました。新潟から伊豆諸島を経て、フィリピンまで到達する長大な「富士火山帯」の活動です。火山群も活発に噴火活動を続けており、地下のマグマにより金を含む金属や各種鉱物が混じった熱水の大きな対流が起こりました。その後エネルギーの放出先として地表に向かい「熱水鉱床」が形成されます。中でも金は石英脈の亀裂などに染み込み、長い年月をかけて蓄積し「金鉱床」を形成しました。日本で多く見られる「金鉱石」が石英を主成分としているのはこのためです。もちろんこれは「金鉱床」成り立ちの一例にすぎませんが、火山のそばに温泉地があるように「金」もまた火山と深い関わりを持っているのです。
出典:九州大学工学研究院地球資源システム工学部門の調査結果より
出典:(独)産業技術総合研究所地質調査総合センターの地質文献データベースより
甲斐黄金村・湯之奥金山博物館/JR身延線『下部温泉駅』近くにある、「湯之奥金山に関連する資料等」を展示する博物館。
戦国時代の金文化を今に伝える
『湯之奥金山博物館』。
下部川のほとり。どこからかウグイスのさえずりが聞こえてきます。『甲斐黄金村・湯之奥金山博物館』は、まばゆいほどの新緑の山々に囲まれて佇んでいました。1989年〜1991年に行われた総合的な学術調査を受けて、1997年に開館。調査によって解き明かされた、湯之奥金山の全貌がさまざまな手法で公開されていて、戦国期の金鉱山の様子や関わった人々の暮らしぶりなどを楽しみながら学ぶことができます。
まずは、210インチの大型スクリーンで黄金にかける人々の夢をテーマにしたムービーを観覧。スロープを上がって2階に入ると、大きく精緻なジオラマ模型に迎えられました。毛無山の中腹、標高1,400m付近に村を作って暮らした中山金山の人々の生活や鉱山作業が再現されています。常設エリアには実物大の人形模型による作業風景や、鉱石を粉成(こな)すための挽き臼をはじめとした鉱山道具や生活道具など湯之奥金山遺跡からの出土品が展示されていました。
毛無山(右手前)/山梨県南巨摩郡身延町と静岡県富士宮市にまたがる標高1,964mの山。金山を有する山で、江戸時代まで採掘が行われていた富士金山や中山金山の採掘跡が残る。金山衆(かなやましゅう)は、この山中に集落をかまえて「金」の採取に労力を傾けた。
本物の甲州金を目の当たりに。
展示コーナーでひときわ目を引いたのは、体系的に網羅された『甲州金』をはじめとしたたくさんの金貨です。戦国時代、武田信玄が周辺諸国へ次々と勢力を拡大させることができたのは、領内に湯之奥金山ほか数多くの甲斐金山が分布していたからだといわれています。軍用金や恩賞として金を使ったのです。そのため当初の甲州金は金額などの刻印がなく、『碁石金』と呼ばれる金の粒でした。でも褒美として与える際には、なんと信玄自身が両手でゴッソリすくってジャラジャラ与えたのだとか!? その後、甲州金は重量にもとづいて貨幣単位が設けられるようになり、金四匁(約15g)を1両として、1両=4分=16朱=64糸目と制定されます。日本初の制度化された通貨となり、江戸幕府の貨幣制度の参考ともなったのです。
大人を夢中にさせる砂金採り。
金山で行われていた作業のひとつに『汰(ゆ)り分け』という工程があります。粉砕した金鉱石を臼でさらに細かく粉成したのち、比重の違いを利用して金だけを取り出す『比重選鉱(ひじゅうせんこう)』と呼ばれる手法です。かつては木製の汰り板が使われていましたが、博物館ではそれをプラスチック製の専用皿に持ち替えて、実際に体験することができます。1階の砂金採り体験室へ行ってみましょう。細長い水槽が3基並んでいます。中には砂が敷き詰められ、水が張られていました。この中に隠れている砂金を採るようです。道具は直径30cmほどのパンニング皿のみ。なにはともあれやってみようと皿で砂をすくってみましたが、砂の層が意外に厚く、20cm以上あります。金はどんな砂よりも比重が大きいので、一番底に沈んでいるのだそうです。ただ砂をすくうだけでは採れません。アドバイスをいただき、やり直し。
展示されている金鉱石/中心付近に見える輝く帯状のものが「金」。金山衆は、この鉱石を、搗(つ)く、磨(す)る、挽(ひ)くなどの方法で細かく粉砕し、鉱石中に含まれる金を単体とさせ、水の中で比重選鉱を行って金を採取していた。砂金採り体験はこの行程の中の比重選鉱を再現したもの。
■砂金採りのコツ
- ①皿を垂直に立てて水槽の底まで深く差し込み、砂を大量にすくい取る。
- ②水中で皿を両手で持ち、車のハンドルを回すように動かし、砂金を皿の底へ沈める。
- ③水面付近で弧を描くように皿を揺すって、砂利を水槽へ排出する。
- ④だんだん砂が減っていくと──、 皿の底にキラッと輝くひと粒が!!
あった!ありました。1mmあるかないかのほんの小さな粒なのに、この輝き。
本物の金です!子どもよりも大人の方が価値をわかっているだけに、この感動は大きいかもしれません。30分の制限時間いっぱいまで、何度砂をすくったことでしょう。夢中になっていたため気づきませんでしたが、終えたあとは腕が張っていました(笑)。先人たちはこんな重労働を一年中朝から晩まで繰り返していたのですね。
はじめての人でも5粒前後。慣れてくると20粒以上の方も。採った砂金は専用のボトルに入れ、すべて持ち帰ることができます。コツコツと貯めているリピーターもいらっしゃるようです。
最後に館長さんからのメッセージです。
「砂金掘り大会」や「金山探険」といったイベントも催しながら、身延にこんなに素晴らしい遺跡があるということを県内外にアピールしています。初源期山金山(しょげんきやまきんざん)を学術的に研究して展示した日本唯一の施設ですので、金や考古学に関心のある方は、ぜひ一度ご来館ください。
館長/出月洋文
〈取材協力〉
甲斐黄金村・湯之奥金山博物館
〒409-2947 山梨県南巨摩郡身延町上之平1787番地先
TEL:0556-36-0015
Webサイト
https://www.town.minobu.lg.jp/kinzan/
二代目館長日記
https://plaza.rakuten.co.jp/bnvn06/
※取材に際しては、マスク着用・体温測定・最少人数での訪問など、感染症まん延予防措置をとっています。