Special
過去から未来へ。
ゴールドの力。
黄金の永遠の輝きに自らの栄華を重ね、権力の象徴として誇示してみせた戦国の大名たち。
やがて「金」は社会を動かす力となり、世界の経済は、「金」あってのものとなっていきます。
“ゴールドが世界を動かす”。過去、現在、そして未来にまで、多大な影響をおよぼすゴールドの力を紐解きました
第1部/権力の象徴としての金
室町幕府の権威と栄華
日本で最も有名な金色の建造物といえば、平泉・中尊寺の金色堂か京都の金閣寺でしょう。しかしこの両者、建築の意図がだいぶ違うようです。前者は奥州藤原氏が慰霊のために極楽浄土を体現したものであるのに対し、後者は室町幕府三代将軍・足利義満の個人的な思いが強い。一層は公家様式、二層は武家様式、三層は禅宗仏殿造りとなっており、三層だけが内外とも豪華な金箔貼りです。このころの義満は将軍職を息子に譲って出家していたのですが、それでも自分が朝廷や幕府よりも上の存在であることを表現したのではないかといわれています。
絢爛豪華な幻の安土城
安土城は織田信長の命によって1579年に築城され、わずか3年で焼失しました。そのため、幻の名城といわれています。日本初の天主(天守閣)を備え、高さは46 m。近年になって加賀藩の大工に伝わる天主指図が発見されたことから、天主最上の5階6階部が忠実に復元され、滋賀県・安土町の『信長の館』内に展示されています。5階は天界をイメージした8角形の黄金の間。目の当たりにすると、朱漆塗りの柱や床との対比が、息を飲むほどに鮮やかです。6階の外壁には10万枚の金箔が使われ、屋根には金の鯱(しゃちほこ)、内部には信長が狩野永徳を中心に描かせた金碧障壁画が再現されています。隣接する『安土城考古博物館』では、実際に安土城跡から出土した金箔瓦を観ることができました。
秀吉自慢の黄金の茶室
信長の後を継いで天下統一を成し遂げた豊臣秀吉も、城の瓦に金箔を用いました。しかし、信長型が装飾瓦の凹部に金箔が貼られているのに対し、秀吉型は目立つ凸部分に金箔が施されていて、インパクトが強大です。大阪城の天守閣には、壁も柱も天井も金色に輝く3畳敷きの茶室があるのですが、これは秀吉が天皇に茶を献じるために造らせ、京都御所内に運び込んで、金の茶道具を用いて茶会を行ったという史実に基づいて復元されたもの。侘び寂びの精神とは正反対ともいえる斬新な組み立て式のこの茶室を、秀吉は大阪から運び出して一般大衆にも披露したといいます。また、17cm×10cmもある世界最大級の大判金貨を鋳造させたりもしていますので、やはりそういう性格の方だったのでしょうか。もちろん褒賞や贈答用で、通貨としての役割は果たしていませんでしたが。
武田信玄を支えた甲州金
戦国時代、南蛮貿易による商工業が栄え、貨幣の必要性が生まれました。諸大名は鉱山開発を進めて金銀貨を造りましたが、ほとんどは必要なだけ切って使う秤量(ひょうりょう)貨幣で、品位も安定していなかったといいます。ところが、武田が治めた甲斐国は違いました。領内には数多くの金山が分布し、産金技術も進んでいて、豊富な金をもとに領土を広げながら、日本初の制度化された計数通貨を生み出したのです。鉱石から純金を取り出す『灰吹法』によって直径2cmほどの碁石金を精製し、これを原型に金四匁(約15g)を1両として、1両=4分=16朱=64糸目と制定。黄金としての甲州金は庶民には関係のないものでしたが、制度としての甲州金は地方通貨として流通したのです。
江戸時代の貨幣制度
秀吉の死後、関ヶ原の戦いを制した徳川家康は全国の金山を直轄し、幕府主導で金銀貨の鋳造をはじめました。最も大きい慶長大判は主に贈答用。実際に流通したのは慶長小判を最高額の1両とした通貨で、単位は「両・分・朱」の4進法です。あれ?甲州金に似てません? そうなんです。江戸時代に全国統一された貨幣制度は、地方通貨であった甲州金がもとになっていたのです。三代将軍・家光の時には銅貨の寛永通宝も発行され、金・銀・銅の3貨幣が揃いました。が、天下泰平の世に人々の生活はだんだん派手になる一方、諸大名は参勤交代などの負担もあって財政が苦しくなって…。幕府の許可を得て、貨幣との交換を保証する紙幣『藩札』が発行されることもあったそうです。
「藩札」という兌換紙幣
商取引の利便性を考えて発行されたのが原点とされている「藩札」は、地域(藩)限定の紙幣である。江戸末期から明治初期にかけて各藩が発行し、その発行額は藩が実際に所有する金・銀・銭の総量の約3倍といわれている。この「藩札」の発行で、日本でも「兌換」というシステムが取り入れられた。
第2部/お金の基準としての「金」
イギリス・産業革命と通貨価値
日本が鎖国により海外との貿易を極端に制限していた18世紀半ば、イギリスでは産業革命がはじまっていました。紡績機の発明、製鉄業の成長、さらには蒸気機関の開発によって機械工業が発展し、蒸気船や機関車が実用化されていきます。各国に先駆けた産業革命によって“世界の工場”となったイギリスは、大量生産した商品の輸出を進めていきますが、ひとつ大きな問題がありました。それは貿易相手国の通貨の価値がわからないということです。
通貨の単位が異なるだけでなく、通貨は額面の価値=素材の価値ではないので、その通貨に実際どれだけの価値があるのかを判断することができなかったのでした。
ジェームズ・ワット/スコットランド出身の発明家、機械技術者。実用化へ向けて蒸気機関を改良し、イギリスのみならず全世界の産業革命の進展に寄与した人物。
金本位制が世界基準に
そこで考え出されたのが『金本位制』。通貨の価値を世界共通の価値がある金を基準にして定め、その通貨と金の交換を国が保証するという制度です。支払った国が、いつでも交換に応じられるように金を中央銀行に保管しておくことで、通貨の信用が生まれます。発案者であるイギリスでは、1816年当時、金1オンス(31.1035g)=3ポンド17シリング10ペンス半と定められました。魅力的な商品を生産するイギリスと貿易をしたいがために、世界各国も導入し、金本位制が国際通貨制度になっていきます。
日本は1871年に採用しますが、金貨不足から銀貨の利用が続き、1897年になって本格的に金本位制を採用。交換比率は1円=金0.75gでした。日本銀行は、同額の金との交換を保証する日本銀行券=兌換紙幣を発行し、国内においてもこの紙幣が『お金』として流通するようになりました。
明治時代に発行された「日本銀行兌換銀券」。裏面には「Promises to Pay the Bearer on Demand One Yen in Silver」と記されている。当時の日本は「金」が不足しており、兌換紙幣と交換できるのは「銀」だった。
「金本位制」
貿易の取引拡大に伴い、世界は価値基準を定める必要に迫られた。採用されたのは「金」。金は世界中で通用していたが重量の問題もあり、持ち運びが不便。そこで、各国の中央銀行が金庫に保管している金と同じ額の「金券」を発行した。これが紙の貨幣=「紙幣」の始まり。そして、このしくみを「金本位制」と言う。
米ドルと金本位制
金本位制が約100年続いた1914年に、第一次世界大戦が勃発。貿易は途絶え、戦後は各国とも戦争による対外債務の支払いのために金が必要となり、通貨と金の兌換を停止しました。戦後経済の復興に伴い、各国が金本位制を再開させますが、1929年からの世界恐慌によって再び機能不全に。1937年には、すべての国が金本位制から離脱してしまいました。そして1939年に起こった第二次世界大戦が、1945年まで続きます。
ふたつの大戦の間に、世界経済の中心はイギリスからアメリカに移行。終盤には、戦後の復興に向けた貿易を促進するための新しい国際通貨制度が制定されます。まず金と米ドルの交換比率を定め、その上で他国通貨との交換比率を決めるというように。つまり、金の価値は1オンス=35米ドルと置き換えられ、他国通貨の価値は米ドルとの固定為替相場で決まるということです。
これを『金ドル本位制』といい、米ドルが世界中の貿易の決済に使われる基軸通貨となりました。
ニクソン・ショック
しかしアメリカでは貿易赤字の拡大やベトナム戦争によって、金の保管量をはるかに超える米ドルが海外に流出。徐々に米ドルと金の交換を保証できなくなっていきます。そしてついに1971年8月、ニクソン大統領が米ドルと金の交換停止を発表。こうして米ドルを介した金本位制も終焉を迎えることになり、金は貨幣基準としての役目を完全に終えることになったのです。その後は、みなさまご存じの通り。米ドルが世界の基軸通貨なのは変わりませんが、他国通貨の価値は米ドルとの変動為替相場で値動きしています。世界各国は金本位制を脱して以降、中央銀行に保管する金の量に関係なく、国の経済状況に見合った量の貨幣を発行する『管理通貨制度』を採用。国の政治や経済状況が悪化して信用がなくなれば、その国の貨幣の価値も下落するというしくみなのです。
リチャード・ニクソン/第37代アメリカ合衆国大統領(1968年)。ベトナム戦争からの米軍の完全撤退を実現。突然ドルの金交換停止・輸入課徴金制導入・物価賃金凍結などの思い切った政策転換を発表(ニクソン・ショック)して、アメリカの強いリーダーシップの元、新しい国際通貨体制を確立させた。
世界各国が金を保有
貨幣基準として役目を終えたはずの金ですが、それでも世界各国は、下グラフに見られるように金の保有に努めています。なぜでしょうか? それは国連のIMF(国際通貨基金)加盟国の政府・中央銀行には、国家の信用や世界的な有事に備えた保険として、一定比率以上の外貨準備をしておく義務があり、世界共通の安全資産である金もこの準備資産に含まれるからです。そして、地政学的リスクの高まりや準備資産分散化の必要性から、近年は金の保有量を増やそうとする動きが活発化しています。かつては金本位制のもとで、各国の金の保有量に合わせて通貨を発行していた歴史もありました。しかしその制度がなくなった現在も、保有する金の量がその国の通貨価値を安定させる要因として機能し続けているのです。
唯一無二の普遍の価値、それこそがゴールドの力なのでしょう。