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コツコツを感じる旅

1000年続く音楽の都 ウィーン

華やかな宮廷文化の中で育まれた音楽の伝統。それは、ウィーン市民たちが代々継承し、現代の街の空気の中に溶け込んでいます。
1000年の時を超えてなお輝き、世界中の人々を魅了し続ける音楽の都「ウィーン」へ、誌上の旅に出かけましょう。

ヨーロッパの交差点

オーストリア共和国の首都であるウィーンは、ヨーロッパ大陸を東西に流れるドナウ川流域に位置しています。ドナウ川の水運を利用した交易の要所として、またアルプスを越えて東欧諸国にいたる陸路の拠点ともなり、古くから栄えていました。さまざまな民族が往来し、文化が行き交い、古来より国籍や民族にとらわれない広い視野を持つ性格を有していたようです。

ハプスブルク帝国の繁栄

ウィーンの歴史を語る上で最も重要なできごとは、ハプスブルク家による統治です。ハプスブルク家は、政略結婚によって所領を増やしたと言われ、16世紀にはヨーロッパにおける一大帝国を築くまでにいたりました。しかし、当時勢力を拡大していたオスマン帝国の西進を受け、1529年と1683年の2度、大軍によるウィーン包囲を受けています。この危機からウィーン市民を守ったのは、市の外周に建造していた市壁でした。当時のウィーンは、深い堀と総延長4kmにおよぶ壁と塔と堡塁を備えた城郭都市で、15万以上の軍勢が迫る中、救援軍の助けを得て、陥落寸前でウィーンは救われたのです。こうした背景から、ハプスブルク家は、3度目の攻撃に備え、現存する市壁の外側に新たに市壁を建設しました。この二重の市壁がウィーンの文化に大きな変化をもたらします。壁と壁の間の広大なスペースに、貴族たちがバロック様式の豪華な宮殿を建設しだし、そこに芸術家を迎え入れ、パトロン役を務めたのです。1762年には、まだ子どもだったモーツァルトがシェーンブルン宮殿に招かれ、ピアノ演奏をしています。


ハプスブルク家出身のオーストリア公「アルブレヒト2世( 1298年~1358年)」。領民から慕われた名君で、戦争には敗れるが内政に没頭し、オーストリア公としての基盤を固めるべく奔走した。


オーストリアの最も有名な女大公「マリア・テレジア( 1717年~1780年)」。小学校の新設や徴兵制度の改新など様々な改革に着手した。末娘はルイ16世に嫁いだマリー・アントワネット。

近世、近代へ。音楽の都へ

クラシックは元々、教会のミサから発展した音楽です。ウィーンへ来た音楽家たちは、司教や貴族に抱えられ、芸術家として創造の場を得て、自由に才能を開花させました。ウィーンを舞台にして活躍した音楽家には、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどそうそうたる顔ぶれが並びます。なかでも、ウィーン独自の文化とも言えるワルツを創り出したヨハン・シュトラウス2世は、ウィーンを代表する音楽家の一人と言えるでしょう。19世紀になると、ウィーンを守った市壁の必要性は失われていきました。そして1858年、ついに市壁の取り壊しがはじまります。市壁跡にはリングシュトラーセ(環状道路)が敷設され、道路沿いには国立オペラ座など現在も残る主要な建築物が次々と姿を現していくのです。


ホーフブルク王宮の庭園に立つモーツァルト (1756年~1791年)の銅像。生まれはザルツブルクだが、25歳の時にウィーンに移り住んだ。1784年から1787年まで住んだ建物も現存している。


二重に市壁をめぐらせていた18世紀のウィーン。荘厳な宮殿が建ち並び、きらびやかな宮廷文化の中で音楽が育まれていった。


ウィーン市立公園で黄金に輝くヨハン・シュトラウス2世(1825年~1899年)。生粋のウィーンっ子で、「美しく青きドナウ」をはじめ「皇帝円舞曲」「こうもり」などウィーンらしい曲を作った。

ウィーンの今

1000年の歴史を持つ音楽の都の『今』を知りたくて、関係機関を訪ねました。対応してくださったのは、オーストリア政府観光局のシャノーネビン氏とウィーン在日代表部の福田明子氏です。ハプスブルク家および貴族の擁護によって育まれた音楽の文化を、現在のウィーンはどんなふうに継承しているのか。現代のウィーンっ子たちはどう受け止めているのか。実際に見たり聴いたり感じたりできるホットな情報をご提供いただきました。「クラシック音楽というと、日本では襟を正して、きちっとした格好で聴くというイメージがありますが、ウィーンではもっと自由です。きちんとした雰囲気のコンサートももちろんありますが、通りすがりの人が立ち止まって、気軽に自然体で楽しめるような音楽イベントがたくさんあるんです。」ウィーンでは、音楽をメインとした文化プログラムが、1年に1万回以上開催されています。大きなものでは、1842年に宮廷歌劇場の楽団として創立されたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による定期コンサート。 シェーンブルン宮殿の庭で開催されるサマーコンサートは、無料で誰もが自由に入場できます。クラシック音楽に対する敷居が低く、市民が日常生活の中で、いつでも音楽にふれることができる。そんな環境が整っているのです。


日曜日のミサの会場となるホーフブルグ王宮。聖歌隊を務めるウィーン少年合唱団は10歳から14歳までの約100人のメンバーで構成されている。

ウィーン少年合唱団、
オペラ、オペレッタ

「日曜日にはホーフブルク王宮のミサがあり、毎週、ウィーン少年合唱団が聖歌隊を務めます。少年たちはふだんアウガルテン宮殿で生活をしていて、その敷地内にあるコンサートホールでは毎週金曜日に定期コンサートを開催しています。」ウィーン少年合唱団の歴史はとても古く、神聖ローマ皇帝の宮廷礼拝堂の少年聖歌隊としてデビューしてから500年以上もこの伝統を守り続けています。「国立オペラ座やオペレッタの殿堂フォルクス・オーパーでは、毎日演目を替えて人気のプログラムが上演されています。立ち見でリーズナブルにご覧になることも可能ですが、オペラ座の隣の広場には50m2の大型スクリーンが設置されてライブ中継されますので、チケットがなくても誰もが気軽にオペラにふれることができます。」(3月末~6月末、9月限定)オペラ座などがシーズンオフとなる7・8月は、ウィーン市庁舎前の広場で音楽映画フェスティバルが開催され、クラシックからオペラ、ジャズやロックまでいろんな音楽映画を楽しみながら世界各国の料理やお酒を味わえるそうです。


ウィーン市庁舎前の広場で開催される音楽映画フェスティバル。真夏の2カ月間開催され、入場は無料。屋台の飲食店も立ち並び、世界各国の料理を食べながら楽しむことができる。


ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤー・コンサート。会場は本冊子の表紙にもある楽友協会大ホール。世界90カ国で放映され、数百万人の音楽ファンが楽しむ。

〈参考文献〉

  • ●ときめきのハプスブルク/毎日新聞社
  • ●ウィーン物語/宝木範義著(新潮選書)
  • ●ウィーン旅の雑学ノート/山口俊明著(ダイヤモンド社)
  • ●ウィーン 文化都市8つの物語/旅名人ブックス(日経BP企画)
  • ●ウィーンの街の物語/松井隆夫著(小学館)

ワルツは人生の楽しみ

「ワルツは、上手い下手は別として、みんな踊ります。学校でも習いますし、生活に根付いています。切っても切り離せないくらいに。ウィーン市民にとっては、ワルツがなかったらもう人生じゃないというくらいです。」11月からは舞踏会のシーズンです。1814年に開催されたウィーン会議では、ナポレオン戦争後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として諸国の代表が集いましたが、毎晩のように舞踏会が繰り返されて会議は長期化。「会議は踊る、されど進まず」と評されたのでした。宮廷文化として生まれた音楽を、ウィーン市民たちは独自の価値ある文化として愛し、守り、継承してきました。クラシックもオペラもワルツも、それらは今、決して特別なものではなく、庶民の誰もが気軽に楽しめるものとして、毎日の暮らしの中にあるのです。