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特集
お宝発見!?
ロマンあふれる
トレジャーハンターの世界
海底に眠る海賊船の財宝、古地図に描かれた黄金郷、時の権力者が密かに隠した埋蔵金…。そんな伝説の宝物を探し続けるのが、トレジャーハンターと呼ばれる人たちです。映画やドラマの世界だけでなく、実際に今も多くのトレジャーハンターが世界中で活動を続けています。彼らは具体的にどのようにしてお宝を見つけたのでしょうか?これまでにハンターたちによって発見された財宝や、まだ見つかっていない財宝のエピソードも併せて紹介します。
トレジャーハンターとは?
トレジャーハンター(Treasure Hunter)とは、その名の通りトレジャーハント(Treasure Hunt=宝探し)をする人たち、特に海賊の財宝や古代文明の遺構、隠された埋蔵金など、各地に残る財宝伝説をもとに宝探しをする人たちのこと。映画やドラマの主人公として描かれることが多いトレジャーハンターですが、もちろん、現実社会にも存在しています。今も世界各地でプロ・アマを問わずいろいろな人や団体がトレジャーハンティングに挑戦しており、財宝が発見されるたびに大きなニュースとなっています。
トレジャーハンターと聞くと「一攫千金」を夢見る人を思い浮かべるかもしれませんが、必ずしもすべてのハンターが「お金」だけを求めているわけではありません。むしろ、多くのハンターを駆り立てているのは“ロマン”――歴史の中に埋もれた「何か」を探しだすワクワク感、長い間封印されてきた過去の遺物と出会えるかもしれないという高揚感こそが、トレジャーハンティングの本当の醍醐味なのかもしれません。
最近は金属探知機やドローンなどの機器が身近になったこともあって、レジャーとして宝探しを楽しむ人も。自身が宝探しをしている様子をYouTubeなどで公開し、宝探しのワクワク感を視聴者と一緒に共有しているトレジャーハンターも見られます。しかし、彼らの様子を見て、「自分もやってみよう」と軽はずみにトレジャーハンティングを始めるのは、考えもの。許可なく私有地や遺跡に侵入したり、文化財に接触したりすることは法律で禁止されています。ロマンに駆り立てられて、大切な財宝や遺跡を破損したり研究の妨げになってしまっては、元も子もありません。むやみに手を出さず、まずはトレジャーハンターの活躍を見て楽しむにとどめておくほうが良いでしょう。
世紀の大発見も!
トレジャーハンターが見つけた
お宝とは?
では、これまでトレジャーハンターたちは、どのようなお宝を発見してきたのでしょうか?
ここでは、そのごく一部を紹介しましょう。
|伝説の海賊船「ウィダー号」|
1717年、伝説の海賊・サミュエル・ベラミーが乗っていた海賊船・ウィダー号がアメリカ・マサチューセッツ州ケープコッド沖の大西洋で沈没。当時のマサチューセッツ知事の命を受けた別の船が貴重品の回収に向かったものの船体の発見には至らず、遭難場所を記した地図だけが残されていました。その後、海の底に眠り続けたウィダー号に再び注目が集まったのは、1960年代のこと。トレジャーハンターのバリー・クリフォードが1717年に作られた地図に興味を持ち、磁気探査機やソナー(音波を利用して物体を探査する機器)などを駆使して、ウィダー号の探索を開始したのです。探索は難航しましたが、1984年、クリフォードはついに海底に沈むウィダー号の残骸を発見しました。船体はすでに腐っていましたが、残骸中で発見された青銅の鐘に「THE WHYDAH GALLY 1716」と銘が刻まれていたことから、ウィダー号の船体であることが確認されました。発見場所からは一説には4.5トンにも及んだという大量の金、象牙、そして大量の銀貨などの財宝が発見され、大きな話題を呼びました。発見場所では今も潜水士らによる回収作業が行われており、2018年には海賊のものとみられる6人分の人骨が見つかっています。今後も調査が進めば、さらなる発見があるかもしれません!
|偶然に発見された古代都市
「マチュ・ピチュ」|
トレジャーハンティングへの熱意が、偶然の発見につながることもあります。ペルーにある有名な古代都市「マチュ・ピチュ」の発見もその一例です。アンデス山脈の山の尾根にあるマチュ・ピチュは15世紀半ばにインカ帝国によって築かれた古代都市で、信仰の場所または王族のための特別な場所として使われていたと考えられています。マチュ・ピチュは、インカ帝国滅亡後400年以上も忘れ去られていましたが、1911年、アメリカ人の探検家ハイラム・ビンガムによって「発見」され、世界中にその名を知られることになりました。実はビンガムはマチュ・ピチュの存在を知らず、インカ帝国最後の都市とされる「ビルカバンバ」を探していました。当時、ビルカバンバにはインカ帝国の財宝が隠されていると考えられており、その財宝を目当てに多くの探検家がビルカバンバを探しに南米にやってきていたのです。ビルカバンバ探索の途中、アンデスの山中で偶然にマチュ・ピチュの存在を知ったビンガムは、この場所こそがビルカバンバだと誤解し、翌1912年にはイェール大学の探検隊とともに発掘作業を行って、数千点にも及ぶ金属製品や陶器などの遺物を発見しました。これらの遺物は一時アメリカに持ち帰られてイェール大学が保管・研究していましたが、ペルー政府からの要請を受けてその大半が返還され、現在はペルーのマヌエル・チャベス・バロン・サイト博物館に保管・展示されています。
|趣味の宝探しで快挙!
7世紀の王家の財宝を発見|
趣味が高じて財宝を掘り当てた、ラッキーなトレジャーハンターもいます。イギリス人のテリー・ハーバートもその一人。2009年、当時55歳だったハーバートはイギリス中部のスタッフォードシャー州で長年の趣味である金属探知機による宝探しをしていたところ、なんとアングロサクソン時代(7世紀)に作られた金銀細工の財宝1,500点余りを発見しました。同時代の遺物がこれほど大量に発見されたことは初めてで、同時代の歴史認識をも変える可能性がある大発見として大々的に報道されました。見つかった遺物の大半には宝石がちりばめられており、使われている金は計約5キロ、銀は約1.3キロ。専門家の分析により、その価値は328万5,000 ポンド(当時のレートで約4億7,000万円)にも上ることが明らかになりました。AFP通信の記事によると、発見当時、ハーバートは一人で財宝を掘り出していましたが、財宝の量があまりに多かったため怖くなって5日目に専門家に連絡を取ったそうです。確かに、夢にまでみた財宝発見も、実際にここまでの量を目の当たりにすると空恐ろしくなってしまうかもしれませんね。
日本にもある眠れる財宝伝説
ここまでご紹介したものはすべて海外の事例ですが、日本にも驚くほどたくさんの財宝・埋蔵金伝説が残っており、多くのトレジャーハンターたちがお宝発見を目指してあくなき挑戦を続けています。特によく知られている日本の財宝・埋蔵金伝説には次のようなものがあります。
|太閤秀吉の黄金|
兵庫県猪名川町にある多田銀山の坑道内に、豊臣秀吉が朝鮮出兵の軍費の残り、天正大判4億5000万両と金塊3万貫(112.5トン)を隠したとされる伝説。第二次世界大戦後、三重県の旧家からこの埋蔵金の存在を記した文書が見つかったことから大きな話題を呼びました。
|天草四郎軍の黄金の十字架|
島原の乱(1637年)で敗れた天草四郎軍が再起を図って、軍資金の一部を天草・下島の三角池の水中に隠したとされる伝説。隠されたのは、重さ6キロに近い黄金の十字架をはじめ、金銀の燭台20基、宝石をちりばめた王冠などキリシタン関係の宝器類と伝えられています。
|徳川幕府の御用金伝説|
幕末維新時に、密かに江戸城内の金蔵から御用金が持ち出され、上州(群馬県)方面に運ばれて隠されたとされる日本最大規模の埋蔵金伝説。埋蔵金は約400万両にも上るという説もあり、隠された場所についても群馬県赤城村や昭和村、沼田市など諸説あるようです。
これら日本国内の埋蔵金は、いずれもまだ発見されていません。しかし、近年は科学技術の発展に伴って、トレジャーハンティングに用いる機器の性能が大幅に向上しています。海外ではすでに最新鋭の金属探査機や地中レーダー、ドローンやロボットなどを駆使した大規模なトレジャーハンティングが行われ、一定の成果を上げつつあります。つまり、科学技術の発展によりトレジャーハンティングは、「運」や「勘」に頼るものから、「戦略」と「分析」に基づく探査へと進化しつつあるのです。今後、さらに技術が発展すればトレジャーハンティングの成功率はさらに向上すると考えられます。日本でも、伝説の財宝発見のニュースを聞く日が近くやってくるかもしれません!
参考文献:
超絶リアル!!タイムトラベル歴史大図鑑/DK社編(河出書房新社)
AFP BB News
https://www.afpbb.com/articles/-/2668662?pid=4966307
日本の埋蔵金100話/八重野充弘著(立風書房)